よく、若さと経験値のことで議論がされるが、これはどちらが良いということではないと思う。
ものごとには、かならず両面があるのだ。
良く言われるのが人は経験に縛られるということ。確かに人間はそう言う面がある。一方で、ものごとを判断するときに経験上の勘が働く。勘は蓄積の上にやしなわれるものだ。人間は経験してみないと分からない事は山ほどあります。だからこそ行動が大切なのであり、そう言う局面では経験がものを言います。
若いということは知らないばかりに大胆な発想ができるということもあるかも知れない。では若い人はみんな大胆な発想ができるのだろうか?そんなことはない。やはり、「発想」などというものは、個人の資質や姿勢などによるものは大きい。高齢者に新しい発想はできないかと言えば、そんなことはない。高齢でも斬新な発想で仕事をされている方はたくさんいる。亡くなられたシンセサイザー奏者の冨田勲さんは、なくなる直前でも常識を越えた発想で最先端の音響にトライしいた。
ただ、体力だけは年齢に比例して落ちていく。若い人には体力がある。
人の実力は、資質×経験×マインド×体力×努力×・・・・など、複合的な要素によってつくられるものだから、経験か若さかという議論はあまり意味がないと思う。場面場面で、特性をどう生かすかという見極めが大事なのだと思う。その見極めというのも、資質が必要なのだと思う。
では、世の中の上司にはみんなそういった見極めの目が備わっているのかと言えば、残念ながら必ずしもそうではないだろう。なのに、そういった人にも見極めを託してしまう日本の企業(の経営者、あるいは文化)に限界があると思う。
真実を追究する目がまだまだ甘いのではないかと思う。
しかし、そういうことに気づいている経営者は、むしろ若い人には多いのではないか(もちろん経験豊かな経営者にもいるはずだが)。その点は、へんに今までの空気にならされていない若いという特性かも知れない。そう言う会社は、いままでの常識を覆すような組織作りや、事業のやり方で躍進している。
マーケットが伸びてきた、あるいは人口が拡大してきた社会の中では、甘い見極めでも成り立っていたことが、それでは成り立たなくなって来るはず。時代が変わったと言えばそうだが、真実に対しての追求がまだまだ甘いと言うことは多いのではないか。これから、真実を見ない会社はどんどん立ちゆかなくなっていくだろう。