ビジネスの「共有」という言葉が何かの魔法のように使われているような気がします。とりあえず共有しておけば大丈夫という安易な発想で不必要な情報まで共有しようとする場合があります。その結果、CCでまわってくるメールが増加し、同じ件名のメールが並び、しかも引用が重ねられてというように、自分にとってどこか必要なのか分からないメールが流れてきて、挙げ句の果てに必要な情報を見落とす場合もあります。
送る方は「みんなが見ていてくれてるから、もし抜けや不都合や間違いがあれば指摘訂正してくれるだろう」という考えがあるのかないのか分かりませんが、そう言うメールをいちいち確認し、結果、自分には不要な情報だったりするのは非常にムダです。また、誰に向けて書いてあるのかが分かりにくい内容もあったりします。そういうことをいちいち確認するのも時間と手間がムダだし、ストレスにも成ります。
これは会議でも同じではないでしょうか。「とりあえず聞いておいて」みたいに、あまり関係ない人まで会議に呼ばれて強制共有させられます。それらも、将来は関係ある”かも”知れないけど現状は関係ない話だったりします。
時間もムダですが、そのことが頭のどこかを占有していることと、デスクの一角を資料が占有していることがムダです。
これらは、役割分担(機能分化)が成されていない証だと思います。「誰が何をするか」ということが曖昧だからそういうことが起こります。逆に役割分担が明確になっていたら、必要な情報は明確に分かります。また、自分が責任を持ちたくないから曖昧にしている面もあるかも知れません。「責任を持てない」ということは、仕事に自信がないあるいは専門家ではないということです。曖昧な共有メールや会議が積み重ねって行くウチにプロジェクトもどんどん曖昧になっていきます。
日本の組織では非常にありがちなことではないでしょうか。
こういう場合は、そもそもプロジェクトリーダーが機能分化できていない(専門家ではない)という場合が多いのかも知れません。何人かが関わる仕事では、それぞれの役割を明確にして、基本的には必要な情報だけを共有する方が効率良く行きますし、蛇足の情報は、そういうことが分かるように但し書きをして書く方が誤解がありません。そういうメールの書き方や会議の進め方にも、機能分化具合が現れてくると思います。