「和を以て貴しと為す」vs「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」日本の精神風土。

アメリカで、若者による銃乱射事件が起きたとき、その親には全米からメッセージが寄せられたと言います。その内容は「頑張って!」というもの。子供と親は別だ。子供が犯罪を犯しても、あなたは別だというものだそうです。もちろん、これは親の責任だという声や見方があるからこそこういう擁護するメッセージが出てくるのでしょうが。

日本だとどうでしょうか?一斉に起こるのは、「犯罪者の親」「親の責任」「同罪」といったものではないでしょうか。「あなたは別だ」という意見は少数派なのではないでしょうか。
反対だとさらにひどいです。親が犯罪を犯した子の場合、子供には何の責任もありませんが、「犯罪者の子」というレッテルを貼られて、社会のあらゆる場面で差別に合うという事が起こるのではないでしょうか。
実際、そういう事が報道されています。

この日米の違いは、個の尊重の違いなのではないでしょうか。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺があるように、日本の精神風土として、いったん嫌いとなると、その人に関わりのあるものすべてに嫌悪感をいだいてしまいます。それは「和を以て貴しと為す」の裏返しでもあるのではないでしょうか。

また「和を以て貴しと為す」は、システマチックな現代では責任分担の曖昧化も招きます。日本の組織内では、業務の分化が曖昧である傾向があります。誰が何をする義務と責任と権利を持つのか。そこが曖昧なため、業務がおざなりになったり曖昧なまま事件につながったり、あるいは責任の所在が不明になったり、いつ誰がどうしたのか記録が曖昧だったりします。
オンラインによる在宅勤務がなかなか上手く機能しないのも、そういう機能分化が明確でないことも一端を担っていると思います。
物事には、必ず良い面と悪い面があります。良いことも場面が変わればマイナスを生み出します。

「和」が必要な場面と「個」を分化させなければいけない場面を明確に認識することが必要だと思います。プラスに働く方は、おそらく自然に生まれてくるので、留意すべきはマイナス要素であり、マイナス起こりやすい分野には、それを回避できるルール作りが必要ではないでしょうか。

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